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南京考察・参考文献とお勧め書籍

2021年02月16日 | 南京大虐殺
2022.11.17 1項に「南京事件 70 年―収束しない論争」追記。

手元の蔵書も増えてきたので、適当に分類しておくと誰かの参考になるかもしれないと思いつつ列挙。



独断と偏見によるランク:

1. 入門  …いわゆる南京大虐殺を初めて知ろうとする人が最初に数冊手にする際のおすすめ書籍
2. 基本  …南京論者として何か主張するなら、これは読んでおいた方がいいかもという文献など
3. 拡張  …南京論者としてパワーアップする際に役立ちそうな文献など
4. その他 …さらに手を広げて調べる場合、こういうのもありますよという文献など


独断と偏見による分類:

・戦史 …日本軍による公式記録や書類、またはそれに準じる位置付けの資料や文献など
・戦記 …日本軍の南京戦参戦将兵による日記や寄稿など
・記録 …日本軍将兵以外の、南京戦当事者の日記や記録など
・中立 …いわゆる南京大虐殺をテーマとし、比較的中立な視点で論じたもの
・糾弾 …いわゆる南京大虐殺をテーマとし、日本軍を糾弾する視点で論じたもの
・幻影 …いわゆる南京大虐殺をテーマとし、「なかった」あるいは「少なかった」という視点で論じたもの
・参考 …いわゆる南京大虐殺とは直接は関係ないが参考になりそうな文献など


念押ししておきますが、全て独断と偏見です。




《1. 入門》
…いわゆる南京大虐殺を初めて知ろうとする人が最初に数冊手にする際のおすすめ書籍


(中立)南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書) / 秦 郁彦
https://www.amazon.co.jp/dp/4121907957/
一応中立とはしたものの、文面からは糾弾系あるいは断罪系の香りがする。ただ、南京論争業界の基礎知識として十分以上に濃密かつ網羅的なので、参考にすべき第一の書籍とした。

(中立)南京事件 70 年―収束しない論争 / 主任研究員 星山隆 財団法人 世界平和研究所
https://www.npi.or.jp/research/data/bp328j.pdf
《日本では、大別して20万から30万人の虐殺を主張する「虐殺肯定説」と、虐殺などなかったとする「虐殺否定説」があり、双方がその根拠を挙げて論争しているが、議論は往々にしてすれ違っている。なぜ、同じ文献、同じ証言を読んでいるにもかかわらず、かくも大きなギャップが生まれるのかにつき、いずれかの立場に与することなく、整理、検討することを試みるものである。》


(幻影)謎解き「南京事件」 東京裁判の証言を検証する / 阿羅 健一
https://www.amazon.co.jp/dp/B00P8NOA4G/
いわゆる南京大虐殺は東京裁判で決定づけられたが(東京裁判での呼称は南京暴虐事件)、その東京裁判で何が主張されたのか、そしてそれは事実だったのか否かを平易に解説している。東京裁判当時にはほとんど知られていなかった幕府山事件などについても解説あり。入門編として良さそう。

(幻影)誰が「南京大虐殺」を捏造したか / 古荘 光一
http://web-wac.co.jp/book/tankoubon/1032
これは南京戦そのものの細部ではなく、南京大虐殺というプロパガンダが生じた背景を探った著書。蒋介石が力をつけ始めた頃から始まって、東京裁判までの歴史を著述している。内容は平易で、物語として読みやすい。南京戦より前、1937年8月の段階で、ラーべ、フィッチ、マギーは日本軍が南京に侵攻することを想定した行動を始めている、と指摘している。さらには、蒋介石は『南京大虐殺』を事実であるかに見せかけるために南京を見殺しにしたという解釈もしている。全ては最初から仕組まれていた、というのである。上のリンク先に詳細な目次があるので、おおよその内容はわかるはず。




《2. 基本》
…南京論者として何か主張するなら、これは読んでおいた方がいいかもという文献など


(戦史)証言による南京戦史(1)~(11) / 偕行社
http://www.history.gr.jp/nanking/books_shougen_kaikosha.html
南京戦参戦将兵らの寄稿を中心にした南京戦の戦史。糾弾する側はこうした日本軍側の視点を無視するので貴重な資料。これを元にして、後に『南京戦史』が発刊された。当初は虐殺などなかったという結果を期待して参戦者から寄稿を募ったのだと思うが、捕虜の処刑は見た(7連隊など)という寄稿も集まった。そこを自虐史観派によく悪用される。とはいえ、市民虐殺の話はない。ちなみに(11)の次に「最終回」がある。ネットでも探せば見つかるかもしれない。私は持っている。

(記録)スマイス統計調査 / Lewis S.C. Smythe (American professor of University of Nanking in China until 1951.)
https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938
南京陥落から3ヶ月後、金陵大学(南京大学)のルイス・S・C・スマイス教授が市民の被害状況を統計的に調査したレポート。市民の被害証言は多々あるが、当時の統計調査はこれしか存在しないはず。その意味で貴重。糾弾派にとっては市民被害者数が少なすぎるので、あまり触れたがらない傾向。しかしこれですら、北村稔氏に言わせれば郊外の市民犠牲者数は調査方法の問題から過大だという。もちろん糾弾派は調査方法が悪いから少ないのだという。そして、東京裁判にはスマイス教授は宣誓供述書を提出したが、このスマイス統計調査は提出されなかったという。市民被害者数が少なすぎたから?

(記録)「南京大虐殺」はこうして作られた―東京裁判の欺瞞 / 冨士 信夫
https://www.amazon.co.jp/dp/4886561101/
タイトルからは幻影系に見えるが、内容は東京裁判のほとんどの審理を傍聴した上で、その茶番的実態を明らかにした著書。私の記事にも引用しているが、松井大将の弁護側最終弁論が非常に的を射た主張をしているように見える。調べるほど、ここに行き着く。こちら側にいる南京論者必携の書籍。
Wiki:冨士 信夫(1917年8月 - 2005年1月24日)は、日本の歴史家、海軍軍人。東京裁判(極東国際軍事裁判)研究家。

(記録)東京裁判判決 : 極東国際軍事裁判所判決文 昭和24年 / 毎日新聞社
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276125/2
当時の記録。上の冨士信夫氏の著書と併せて。


(記録)[現代語版]支那の対日宣伝策: 支那における国防と新聞事業の統制 (プロパガンダ研究叢書) / 海軍省海軍軍事普及部 編
https://www.amazon.co.jp/dp/B0843SFM1P/
異色の書籍。これは昭和12年10月(南京戦直前)に海軍省海軍軍事普及部が、中国側(中華民国)の「国防と新聞事業の統制」という記事を「本編は民国政府および国民党の、日本を仮想敵とする宣伝計画の基本観念を要述したものと考えられるので宣伝戦参考資料として印刷の上配布する」とした文書の現代語復刻版。「敵国の不法残忍な行為については極力種々の材料を収集し、でき得る限り新聞を利用して、敵は残虐横暴で人道を顧みないという印象を人民の脳裏に刻み付けるべきであり」などという文面も登場する。日本はまさにそれにしてやられた。そして、今も。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445903/1(オリジナル)

(中立)Defending Nanking: An Examination of the Capital Garrison Forces /David Askew
https://www.chinajapan.org/articles/15/askew15.148-173.pdf
立命館アジア太平洋大学のデイビッド・アスキュー准教授の論文。「1937年12月中旬の南京の民間人と軍人の人口について、様々な一次資料やその他の資料から得られる最も正確な推定値は、民間人が20万人から25万人、軍人が7万3,790人から8万1,500人、合計27万3,790人から33万1,500人である。」としている。

(中立)The Nanjing Incident : An Examination of the Civilian Population /David Askew
https://chinajapan.org/articles/13.2/13.2askew2-20.pdf
立命館アジア太平洋大学のデイビッド・アスキュー准教授の論文。「主要な資料はすべて、南京の人口が20万人から25万人であったことを示しているが、2つの重要な証明がある。第一に、12月下旬から1月中旬にかけて、人口の規模が大幅に増加したと思われる。第二に、この増加の多くは、都市の陥落を生き延びて隠れて出てきた元兵士によるものであったに違いない。著者は、スマイスの調査で入手可能なデータと日本の人口登録(=日本軍による良民証発行)を用いて、1937年12月24日から1938年1月5日までの総人口は224,500人であったと主張している。」としている。

(糾弾)増補 南京事件論争史: 日本人は史実をどう認識してきたか (平凡社ライブラリー) / 笠原 十九司
https://www.amazon.co.jp/dp/4582768768/
中立公正という評もあるようだが、そうは見えない。あくまで否定派を批判する視点での論争史。しかし、点と点の論争をいくら列挙しても、結局は定量化した概念で評価しないと(総死者数とか)いつまで経っても埒があかないでしょう。…などとケチをつけたくはなるが、近年の南京関連文献リストとして見れば便利かも。

(幻影)その実像をもとめて 「南京事件」の探究 (文春新書) / 北村 稔
https://www.amazon.co.jp/dp/4166602071/
上の笠原氏にけなされている北村稔氏の著書。スマイス統計調査の郊外の数字は過大だ、という北村氏の指摘については笠原氏は批判してないから、この点はそれで良さそうだ。

(幻影)「南京事件」日本人48人の証言(小学館文庫) / 阿羅健一
https://www.amazon.co.jp/dp/B07DTL7N5N/
これも上の笠原氏にけなされている著書。だけど、これは「なかった」を列挙するのが編集方針なのだから、これはこれでいいんじゃないのかと思う。これだけの数の当事者がそういう方向性で証言していることは重要。大虐殺があったなら、知らない人がいないくらいに現地でも話題になってるはずでしょう。東京裁判で初めて聞いたという当事者がなんと多いことか。

(幻影)「南京安全地帯の記録」完訳と研究 / 冨沢 繁信
https://www.amazon.co.jp/dp/4886562515/
南京戦の際に残留欧米人が南京城内に難民を保護する「安全区」を設置した。それを運営する「安全区国際委員会」が、陥落後の占領下での諸問題について要望や苦情などを日本大使館宛てに文書で送付しているが、それらの集大成を完訳および考察した著書。他の論者の翻訳では内容が糾弾方向に捻じ曲げられたりしている事実なども指摘している。著者の冨沢繁信氏は住友信託銀行の常務取締役を務めるなど、この業界では異色の経歴。

(幻影)本当はこうだった南京事件 / 板倉 由明
https://www.amazon.co.jp/dp/4823105044/
南京論争の主な論点を、大虐殺を否定する視点で網羅的にまとめてある少し厚い書籍。ひと通り読み終わったら辞書的に使える。著者の板倉由明氏は「私は小さな町工場を経営するものであって、調査・研究などまったくの素人です」と言いつつ、この分野でその能力を認められ、偕行社の『南京戦史』編集委員にまでなった。上の冨沢繁信氏もそうだが、この分野の“歴史家”への不信感が異分野からの参入を招いたものと思われる。(私もだよ)

(参考)中国の戦争宣伝の内幕―日中戦争の真実 / フレデリック・ヴィンセント ウイリアムズ
https://www.amazon.co.jp/dp/4829504676/
事変当時から日支双方を見抜いて、日本の側に立って主張し続けてくれた米国人の著書。南京戦を直接扱っているわけではないが、対米工作としての中国側プロパガンダの実態や、明治維新後にたちまち西欧技術を習得した日本への西欧の警戒感などが書かれている。こういうのを読むと、太平洋戦争は一種の必然だったのかもという気になる。




《3. 拡張》
…南京論者としてパワーアップする際に役立ちそうな文献など


(戦史)国立公文書館 アジア歴史資料センター
https://www.jacar.go.jp/
日本政府公式のデータベース。各部隊の戦闘詳報その他公式記録が満載。部隊名や艦艇名その他関連キーワードを入れ、南京戦に関係するものとして期間を1937.12.1-1938.2.1くらいでフィルタリングすると関連するものが出てくる。利用者の検索技量が試されるツール。

(戦史)決定版 南京戦史資料集 偕行社 編 勉誠出版
https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=101186
これは2021年の復刻版。オリジナルは平成元年(1989)に刊行された『南京戦史』と資料集2冊。内容は、南京戦参戦将兵らの証言/作戦命令/戦闘詳報/陣中日誌およびそれらに基づく考察など。中国側犠牲者数の試算については、アプローチは異なるものの、結果は私の考察と近似的。

(戦史)南京事件資料集 / 南京事件調査研究会
https://www.amazon.co.jp/dp/4250920232/
戦史に分類したが、糾弾意図があっての編集に見える。日本軍視点の記録は含まれないので、前項の南京戦史資料集などと併せて参照するのが良い。
Amazon:米国務省記録・軍事記録、グルー文書・ベイツ文書などから大使館報告や南京残留者の書簡・日記・虐殺を逃れた中国側体験者の手記・報告・戦犯裁判記録、米中主要新聞の報道記事。事件の実態と背景を究明するための基本資料を網羅的に集成。

(戦史)戦史叢書第086巻 支那事変陸軍作戦<1>昭和十三年一月まで / 防衛庁防衛研究所戦史室 著
http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=086
1966年から1980年にかけて、防衛庁防衛研修所戦史室(当時)が旧帝国陸海軍の史料に基づいて先の大戦に関してまとめたのがこの公刊戦史「戦史叢書」である。主目的は自衛隊の教育と研究用。いわゆる南京大虐殺については否定的な論調。

(戦記)「南京大虐殺」はなかった 南京攻略戦の大隊指揮官真相を語る / 森王 琢
https://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/87915078145230ed66431b34f00c5568
南京攻略戦で、歩兵第二十聯隊第三大隊長代理だった森王琢氏の講演録をまとめた小冊子。他の文献ではよくわからない戦場の実相がわかる。上の私の記事の末尾に一部抜粋してある。全文読めるサイトへのリンクもあり。この記事の末尾にも一部を画像で引用する。

(戦記)郷土部隊戦記 (福島民友新聞社): 1964(全3巻)/福島民友新聞社
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001224836-00
会津若松歩兵65連隊の戦記。福島民友新聞社が連載していた記事の書籍化。巻頭言はお決まりのように悲惨な戦争を繰り返さないために、となっているのだが、本文は武勇伝調。戦後20年で参戦者がまだ現役だとこういう雰囲気になるのかなと感じる。幕府山事件に関連する記述もあり。あえて言えば、両角連隊長史観。

(戦記)ふくしま 戦争と人間 (福島民友新聞社): 1982 (全8巻)/福島民友新聞社
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001602891-00
戦後40年近く経って改めて福島民友新聞社が連載した記事を書籍化した会津若松歩兵65連隊の戦記。前作と異なり武勇伝調はなりを潜めて実録っぽくなっている。南京戦に関する記述は第1巻「白虎編」。幕府山事件に関する記述も少し充実した。これも両角連隊長史観。

(戦記)南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち:第十三師団山田支隊兵士の陣中日記 / 小野 賢二
https://www.amazon.co.jp/dp/4272520423/
幕府山事件の当事者となった13師団の参戦将兵らの日記集。編集意図は糾弾系。とはいえ、幕府山事件の真相解明には必須の書籍。事件は2夜連続だったと読めることなど、上2つの文献の両角連隊長史観とは異なる。通称「小野日記」。

(戦記)魁:郷土人物戦記 (伊勢新聞社): 1984 / 伊勢新聞社 編
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077613580-00
本書はよくある地元部隊の郷土戦記かと思いきや、そうではなく満州事変から南京占領までの歴史を概説し、後半は様々な部隊の将兵個人を登場させ、その個人目線で戦場の様子を描いている。参戦者の寄稿集ではない。なにゆえ伊勢新聞社が?と思ったが、編集者の経歴を見てわかった。京都16師団に入り、戦後に伊勢新聞社の社長になっている。戦争の実相がわかる良書。

(戦記)魁:郷土人物戦記 第2巻 (伊勢新聞社): 1986 / 伊勢新聞社 編
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001822782-00
前作の続編。徐州作戦から武漢攻略戦まで。

(戦記)南京作戦の真相:熊本六師団戦記 (東京情報社): 1966 / 下野一霍 講述、五島広作 編
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001096449-00
本書の「講述」の下野一霍 氏は南京戦当時第六師団参謀長大佐。そのためか、全体を通して筆致がフォーマル。第六師団長・谷寿夫中将の戦犯裁判の箇所を引用する。
《武富参謀の言によれば、谷将軍がこの厄にあたったのは南京攻撃の最高責任者松井石根大将はA級裁判のため東京に止まり、次級の中島今朝吾中将はすでに亡いので回ったのであるとのことであった。 しかし裁判の経過から見ると将軍を大虐殺の元兇として取扱われたようである。
将軍の日記はその様を詳細に認めてあるが、ここには簡決にその要旨のみを摘録する。
......訊問の際四百にもあまる罪状を見せられたが、時期的にまた場所的に全く師団に無関係のものが少くなく、たとえ関係するものも戦闘の渦中に生じたことで避けられない。それは戦場の常である。 第一いわれる虐殺地点は師団の作戦地域でない。 部下の犯したものであれば潔く罪に服する。よろしく関係兵団の責任者を喚問して真相を明白にしてもらいたい。証人もなく一方的裁判は不当であると拒絶した。.........いよいよ裁判に入った時は、市民約四十人の負傷者を証人として登場させたが、予は一々理由を述べて否定した......。》

(戦記)熊本兵団戦史:支那事変編 (熊本日日新聞社): 1965 / 熊本兵団戦史編さん委員会 編
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002641024-00
熊本第6師団の支那事変についての戦記。南京法廷で谷寿夫中将が死刑になった経緯についても書かれている。
《では第六師団長谷寿夫中将はなぜ極刑に処せられたのであろうか。戦後、中国軍事裁判の連絡に当たった支那派遣軍参謀小笠原中佐はこう説明している。「谷中将が不祥事件の責任者ではないことは中国側もおおむね承知したようだが、結局当時の中国国民の感情は現地裁判で一人でも処罰者を出さなければ気がすまないという情勢にあった。それと第六師団の精強さに対する憎しみを晴らそうとする、いわゆる政略的裁判の観を呈した」》

(記録)南京市政概況 昭和17年 / 南京特務機関
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1267359/2
南京戦から5年後くらいに南京特務機関から発刊された南京の地理/気候/史跡/人口/産業その他の情報。埋葬事業その他の慈善団体に関する記述もあり。

(記録)南京の真実 / ジョン ラーベ
https://www.amazon.co.jp/dp/4062088665/
安全区国際委員会のリーダーを務めていたドイツ人、ジョン・ラーべの日記の翻訳版。内容的には「南京安全地帯の記録」と関係する。

(幻影)真相・南京事件―ラーベ日記を検証して / 畝本 正己
https://www.amazon.co.jp/dp/4938893096/
上のラーべ日記の記述に対して、日本側の各種記録などを用いて細かく検証した著書。これを見る限り、ラーべという人物はあまり誠実とはいえず、相手あるいは報告先によって話を変えるような裏表や起伏の多い人物に見える。独シーメンス社(日本で言えば日立とか東芝?)の中国支社総責任者という利害関係のある立場だから当然か。


(記録)南京事件の日々―ミニー・ヴォートリンの日記 / ミニー ヴォートリン
https://www.amazon.co.jp/dp/4272520598/
Wiki:ウィルヘルミナ(ミニー)・ヴォートリン(1886年9月27日 - 1941年5月14日)は、アメリカ人の宣教師。1919年より中国・南京の金陵女子大学で教師・教務主任を務めた。1937年、日中戦争初期の南京攻略戦の際に南京安全区の設営に関わり、同区内にあった金陵女子文理学院で多数の女性や子供の難民を保護した。第二次上海事変が始まる直前の1937年8月12日から1940年4月14日まで、南京での様子を日記に残している。

(記録)南京大虐殺はなかった―『戦争の流れの中に』からの抜粋 / 前田 雄二
https://www.amazon.co.jp/dp/4793903932/
南京戦に従軍した同盟通信記者・前田雄二氏の著書『戦争の流れの中に』から南京戦に関係する部分だけを独立させた小冊子のような著書。よく読むと、幕府山事件直後の現場付近を目撃している。そして、その件について日本軍の警備司令部から「少数の日本部隊が、多数の投降部隊を護送中に逆襲を受けたので撃滅した」と説明を受けている。=自衛発砲説。

(中立)南京の氷雨―虐殺の構造を追って / 阿部 輝郎
https://www.amazon.co.jp/dp/4317600390/
会津若松65連隊を扱った「郷土部隊戦記 (福島民友新聞社)」の編集委員をしていた著者が、幕府山事件をテーマに取り上げた著書。65連隊関係者への取材メモを中心にしつつ、現地取材もしている。散文調のため資料としては読みづらいが、収録されている65連隊関係者の証言は貴重。上で挙げた福島民友新聞社の2つの文献にある両角連隊長史観とは異なり、事件が2夜連続であったことを明かしている。




《4. その他》
…さらに手を広げて調べる場合、こういうのもありますよという文献など


(戦史)支那事變戦跡の栞 / 陸軍恤兵部
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1906104/6
1938年当時の公式な読み物と思われる。時代の空気感がわかる。私は書籍で持っているのだが、ネットで無料公開されているのを後で知った…。

(戦記)揚子江が哭いている―熊本第六師団大陸出兵の記録 (1979年) (戦争を知らない世代へ〈53 熊本編〉) / 創価学会青年部反戦出版委員会 編
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J8CTX4/
戦記に分類したが、巻頭に「創価学会青年部反戦出版委員会」名義で「中国大陸における侵略戦争」について「もし私たちにそのつぐないができるとすれば二度と再び同じ轍を繰り返させない運動を展開することであろう」と書かれていることからもわかるように、編集意図が反戦運動にあることは明白。陥落翌日に「揚子江を覆い尽くす5万の遺体を見た」という話は、私の考察ではウソだと思う。

(戦記)私の見た南京事件―日本人としていかに考えるべきか / 奥宮 正武
https://www.amazon.co.jp/dp/4569557619/
一応戦記に分類したが、南京戦参戦者(海軍航空兵)として著者が当時目撃したことを基点として、国際法その他の考察を行なった著書。

(記録)外国人の見た日本軍の暴行―実録・南京大虐殺 (1982年) / ティン・バーリイ 著
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J7HXYA/
ハロルド・J・ティンパーリの「戦争とは何か」(1938年出版)の和訳。南京戦当時は上海にいて、南京の安全区国際委員会のメンバーからの情報に基づいて出版。記録ではあるが、当時の米英世論などを中国に同情し日本を憎む方向に持っていく意図があったようである。ティンパーリは中国国民党の中央宣伝部顧問だったという指摘もあり、当初から狙ったのか結果的にそうなったのか議論はわかれるにしても、反日プロパガンダツールとして歴史的にも重要な文献。ただ、なんというか読みづらい。時代的な要因もあるのかもしれないが、客観と主観の混沌的長文という感じ。

(記録)体験者27人が語る南京事件―虐殺の「その時」とその後の人生 / 笠原 十九司
https://www.amazon.co.jp/dp/4874983553/
南京戦体験者からの被害証言の聞き取り記録。南京攻略戦時(攻め上がる時)のもあるが、陥落後の敗残兵掃討の時期の話が多い。また、例のシンドバーグ氏がやっていた棲霞山のセメント工場の避難所に関係した事例が多い。また、聞き取りが2001〜2002年という時期のためか、証言者は当時10歳くらいが多い。この手の証言集でよく見る、撤退する中国軍による清野作戦(焦土作戦)の被害と思われるものはあまり見当たらない。

(記録)十五年戦争極秘資料集 (不二出版): 1989 / 井上久士
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002019010-00
占領地で日本軍が住民を宣撫することを目的に日本軍内部に設けた宣撫班の記録。冒頭に著者の解説が数ページあるだけで、あとはひたすら宣撫班資料のハードコピー。ちなみに冒頭の解説文に著者はこう書いている。
《東京裁判提出の紅卍字会の埋葬記録では、同年(1938年)秋までで四万三千余体を埋葬したとあるから、時期を考慮にいれると本報告の記録と符合する。(中略)ただし、問題となっている崇善堂埋葬隊については、特務機関や宣撫班との協力関係がなかったためかふれられていない。》

(記録)資料 ドイツ外交官の見た南京事件 / 石田 勇治
https://www.amazon.co.jp/dp/4272520644/
「安全地帯の記録」のドイツ外交官バージョンのような趣。気になった点だけいくつか挙げる。資料34で、市の発電所に勤務する労働者54名のうち43人がこの発電所は国営だという理由で日本兵に殺害された、と書いている。資料37でトラウトマンは日本軍の振る舞いが中国人民の中に愛国主義を芽生えさせたのだと指摘している。資料47シャルフェンベルクの書簡を見ると、ローゼンという人物は情緒不安定で事あるごとに日本軍と摩擦を引き起こすなど、問題の多い人物だったようだ。こういったドイツ本国に送った報告書を翻訳した資料集。

(記録)松井石根大将の陣中日誌 (芙蓉書房): 1985 / 田中正明
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001745291-00
松井石根大将の、昭和12年11月1日〜13年2月28日までの陣中日誌を中心に、そこに至るまでの支那事変日誌の抜粋、さらに東京裁判当時の日誌など。東京裁判当時のこの箇所はもしかして幕府山事件の話?
《予が虐殺事件なるものを初めて耳にしたるのは、終戦後米国側の放送なり、予は此事を聞きたるを以て当時の旧部下をして其の真否を調査せしめたるも、南京占領当時、又は其直後、捕虜遁走を企てし事件ありて、そのため其少数を射殺したる事ありたりとの報を得たるも、之も責任者の報告にあらざるを以て、其詳細不明にして、而かも余は之を確言する事能はず。》

(記録)BC級戦犯 (ちくま新書) / 田中宏巳
https://www.amazon.co.jp/dp/B00NFHZOLK/
BC級戦犯裁判から先の戦争を見た著書。南京戦に関する箇所だけを抜き出すと、非常に興味深いことがわかる。戦後作られたイメージとは逆に、BC級戦犯裁判での南京の扱いは小さい。
《〈中国の法廷〉 中国では、漢口、北京、広東、瀋陽、南京、済南、徐州、上海、台北、太源の一○カ所に法廷が設置された。(中略)このうち、審理件数が多かったのは、上海法廷一八三件、広東法廷一七一件、漢口法廷一五一件、瀋陽法廷一三六件、北京法廷一一二件で、他と合わせて八八三件にのぼった。 南京事件があったとされる南京法廷はわずかに三七件に過ぎない。》

(記録)「BC級裁判」を読む / 半藤 一利
https://www.amazon.co.jp/dp/4532167523/
南京戦に関係する箇所でいうと、百人斬り競争について比較的中立に書いている。要約すると次のようになる。東京裁判の米国人検事には創作記事と理解してもらえた。ところが南京法廷に送られた。向井・野田両少尉は弁明したが死刑判決となった。問題の記事は非現実的だが、それでも戦闘行為として書いていた。捕虜や非戦闘員の殺害とは書いていなかった。にも関わらず、判決では捕虜と非戦闘員の殺害にすり替わった。中国側は南京事件を日本軍の残虐行為を世界に訴える象徴的事件と捉えていて、戦争犯罪に問うためにすり替えたのだろうという。

(記録)私の見た東京裁判〈上〉 (講談社学術文庫) / 冨士 信夫
https://www.amazon.co.jp/dp/4061588419/
東京裁判のほとんどの審理を傍聴した著者による著書。南京事件に関しては別に挙げた同じ著者の『「南京大虐殺」はこうして作られた―東京裁判の欺瞞』を読んだ方が良い。

(記録)私の見た東京裁判〈下〉 (講談社学術文庫) / 冨士 信夫
https://www.amazon.co.jp/dp/4061588427/
上の続き。

(糾弾)南京事件 (岩波新書) / 笠原 十九司
https://www.amazon.co.jp/dp/4004305306/
南京攻略戦全般〜南京事件を詳述している。殺戮場面の描写も多いが、その一部は戦闘場面。「南京事件において十数万以上、それも二十万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される」と書いている。秦郁彦「南京事件」とポジションが近い書籍。

(糾弾)南京大虐殺の研究 / 洞 富雄
https://www.amazon.co.jp/dp/4891882239/
ツイッター論戦の書籍版のようなもの。いちいち板倉由明やら偕行社を批判しないと気が済まないらしい文体が目障り。とはいえ、情報量が多いから参考にはなる。全体の約1/5を幕府山事件に費やしている。

(糾弾)南京大虐殺の証明 / 洞 富雄
https://www.amazon.co.jp/dp/4022554517/
1986年の出版だが、この人は事案そのものを論じるよりも、反対論者叩きに熱中するタイプの人のようだ。そういう感想を抱く。

(糾弾)南京大虐殺―決定版 / 洞 富雄
https://www.amazon.co.jp/dp/4198126496/
1982年の出版だから、改めて見ると論が甘い。今では信用できないとされている証言をそのまま収録したりもしている。80年代だとこんなものかもしれない。

(糾弾)「南京事件」を調査せよ / 清水 潔
https://www.amazon.co.jp/dp/4163905146/
小野日記(『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』)を基点にして、南京事件の一角に位置付けられる幕府山事件を調査したレポート。日テレ系で放映されたNNNドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言」(2015年10月4日放映)と「南京事件Ⅱ」(2018年5月14日放映)に対応している。内容的には小野日記ありきで「自衛発砲説は戦後の創作」と断じているが、文献調査が不足しすぎてる印象。清水氏は例えば、同盟通信・前田雄二記者が日本軍の警備司令部から「少数の日本部隊が、多数の投降部隊を護送中に逆襲を受けたので撃滅した」と説明を受けていることとか気づいてないでしょう。ただ、小野氏が持っていたであろうインタビュー音声の書き起こしは参考になった。

(糾弾)南京大虐殺と日本軍 / 渡辺 寛
https://www.amazon.co.jp/dp/475030915X/
南京事件の一角に位置付けられる幕府山事件に絞って論じている。幕府山事件の自衛発砲説、あるいは南京事件否定派への敵対感がにじみ出ている。この手の著書にしては著者の主観が前面に出過ぎ感。

(糾弾)侵华日军南京大屠杀暴行照片集
中国側が出版した写真集。不鮮明で疑惑の画像も多い。

(糾弾)南京大虐殺図録 (五州伝播出版社): 2005 / 朱成山 監修
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008394884-00
上と一部被っているが、写真集。埋葬団体の記録も画像で載っている。日本語版。

(糾弾)証言・南京大虐殺―戦争とはなにか / 南京市文史資料研究会
https://www.amazon.co.jp/dp/4250840247/
ティンパーリの「戦争とは何か」かと思ったら違った。内容的には80年代の教科書問題の頃に、日本が再び軍国主義化したら蒸し返してやろうというつもりで中国側で南京戦の被害者を調査したものであるそうだ。それの和訳版。被害者の口述の聞き取りを整理したものや、80年代の新聞に載った被害者の証言など。別の章では、燕子磯で渡河しようとしていた軍人と市民10万人が虐殺されたとか、紫金山山麓で三千人を生き埋めにしたとか、犠牲者総数は40万人で、それでも全てではないとか書いてある。

(糾弾)南京への道 (朝日文庫) / 本多 勝一
https://www.amazon.co.jp/dp/4022608226/
被害者証言集。80年代の論調がよくわかる。

(糾弾)中国の旅 / 本多 勝一
https://www.amazon.co.jp/dp/4022539844
昭和47年(1972年)の出版。被害者体験談集。この頃から南京論争が始まった。ちょうど日中国交正常化の年でもある。そこに意味があるのかもしれない。

(幻影)史実の歪曲―東京裁判に見る南京虐殺事件 南京攻略戦 / 畝本 正己
https://www.amazon.co.jp/dp/4876194106/
『南京戦史』を取りまとめた畝本正己氏(南京戦当時は独立軽装甲車第二中隊小隊長)による著書。『証言による「南京戦史」』、『南京戦史』(偕行社)と内容的には被るが、畝本氏の名義で東京裁判にテーマを限定しての考察。

(幻影)再現 南京戦 / 東中野 修道
https://www.amazon.co.jp/dp/4794216165/
これは南京論争ではなく、南京攻略戦全体を網羅的に見ようとした著書。情報量が多いので、改めて読んでも参考になる。

(幻影)南京「大虐殺」被害証言の検証―技術屋が解明した虚構の構造 / 川野 元雄
https://www.amazon.co.jp/dp/4886563775/
本多勝一著『南京への道』に登場する29人の被害証言(完全な伝聞を除いた分)について、著者が事実性を検証をしている。結論としては、日本軍による住民虐殺を矛盾なく裏付けるものはひとつもなかったとし、多くは撤退する中国軍の蛮行だろうとしている。私も「湖山村の虐殺」というのを調べたらそうだった。

(幻影)「南京大虐殺」のまぼろし (1973年) / 鈴木 明
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J9G632/
なかった派、あるいは否定派を「まぼろし派」と呼ぶことになったきっかけの書籍だったと思う。ただ、この著書ではなかったと言ってるのではなく、“南京大虐殺”とは言われているものの実は同時代資料(南京戦当時に書かれた史料)がさっぱりなく、いずれも東京裁判に向けて用意されたものばかりである。という趣旨で「まぼろし」と書いている。1973年当時ならそうかも。

(幻影)「南京事件」発展史 / 冨澤 繁信
https://www.amazon.co.jp/dp/4886562981/
私が自分の記事で『原初的南京事件』などと書いているのは、この書籍からの借用である。南京戦時点から始まって、犠牲者数が発展的に増えていく様子が論述されている。

(幻影)南京事件の核心―データベースによる事件の解明 / 冨沢 繁信
https://www.amazon.co.jp/dp/4886562361/
「安全地帯の記録」を全てデータベース化して、日時、場所、被害内容等で分析をしている。その結果は、記載されている「事件」は、12月17日前後と、翌年1月29日頃が突出して多かった。12月17日とは入城式のあった日であり、1月29日頃というのは南京に残った天谷支隊が避難民を安全区から元の住居に帰還させようとした時期である。著者はこれを、国際委員会の「やらせ」または「捏造」であろうとする。

(幻影)真説・南京攻防戦―生証人たちが叫ぶ南京戦の実相 / 前川 三郎
https://www.amazon.co.jp/dp/477332032X/
著者は南京戦には関与していないが、昭和15年から軍歴がある。地味だが自己主張よりも証言や他文献の紹介が多いので、意外に参考になる。

(参考)【復刻本】火野葦平の「土と兵隊」(改造社版)―中国戦線従軍記シリーズの名作 (響林社文庫) / 火野葦平
https://www.amazon.co.jp/dp/B00VC0OM6U/
中国戦線で従軍した一兵卒の日記的な記録。原文は弟への手紙とのこと。参戦者には当たり前であっても、我々のように戦争体験がない者にはわからないこと=つまり、戦闘しながら行軍(徒歩)し、その合間に食う、寝る、排泄する、という従軍生活がどういうことかがよくわかる作品。住民との関わりの描写も多数。続編に「麦と兵隊」「花と兵隊」がある。

(参考)蜀碧・嘉定屠城紀略・揚州十日記  (東洋文庫 (36)) / 彭 遵泗
https://www.amazon.co.jp/dp/458280036X/
南京戦とは関係ないが、中国史における「屠城」の様子がわかる著書。南京大虐殺を主張する中国人の念頭にあるのはこのイメージではないのか。
Wiki:『揚州十日記』とは、明末清初時代に王秀楚が著作した稗史(はいし、小説風の歴史書)で、『明季稗史初編』のひとつである。著作者の王秀楚は当時揚州に在住していた無名の一市民であると推定され、この著作は1645年(順治2年)の清軍と明軍による揚州攻防とその後の清軍による略奪・殺戮行為を、自身の見聞を中心に描いたものである。清軍による虐待行為の描写を含んでいるため、清朝支配下では禁書となり公には刊行されなかったが、写本などの形で秘密裏に流通した。

(参考)匪賊―近代中国の辺境と中央 / フィル ビリングスリー
https://www.amazon.co.jp/dp/4480856536/
底辺の暴力集団から見た中国の近現代史、といった感じの著書。中国では辺境あるいは王朝交代期にはこういう勢力が跋扈するという歴史的特性を知っておくといいのかもしれない。権力が維持されている時代には押さえ込まれていても、世が乱れればまた匪賊が暴れ出す。混乱に乗じて勝ち上がれば、その匪賊が軍閥や政府になる。
Wiki:匪賊(ひぞく)は、「集団をなして、掠奪・暴行などを行う賊徒」を指す言葉。日本では、特に近代中国における非正規武装集団を指す。
Amazon:匪賊とは何か。どの様な条件が賊徒を生み育てるのか。絶望的な状況に武器をとって立ち向かったのはどの様な人々であったのか。白狼、張作霖、伊達順之助ら豪傑たちが躍動する近代中国の一大叙事詩。

(参考)中国の大プロパガンダ――恐るべき「大外宣」の実態 (扶桑社BOOKS) / 何 清漣
https://www.amazon.co.jp/dp/B07ZSG5CV2/
南京戦とは直接的には関係ないが、現代の中華人民共和国のプロパガンダを扱った著書。これを読むと、中国にとってはプロパガンダとは軍隊と同じ戦略ツールであり、西側諸国が健全な民主主義のために言論の自由と公正な報道が必要と考えるのとは全く異質の体制であることがわかる。
ところで「檄を飛ばす」の「檄」とは、『昔,中国で戦争の際に同志をつのったり,あるいは役所の通達・布告を知らせるために木札に書かれた文書。…敵の罪悪とわが方の正義を明らかにして,大衆の心をつかむことが肝要とされる。』(世界大百科事典 第2版)とあるように、それこそ三国志のような時代から中国人にとって宣伝戦は重要な戦略だったのかもしれないと思った。

(参考)占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間 (文春文庫) / 江藤 淳
https://www.amazon.co.jp/dp/4167366088/
いわゆる「WGIP(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」について触れた書籍。戦後の自虐史観はGHQの占領政策に端を発していると論じている。
《占領終了後、すでに一世代以上が経過しているというのに、いまだにCI&Eの宣伝文書の言葉を、いつまでもおうむ返しに繰り返しつづけているのは、考えようによっては天下の奇観というほかないが、これは一つには戦後日本の歴史記述の大部分が、『太平洋戦争史』で規定されたパラダイムを、依然として墨守しつづけているためであり、 さらにはそのような歴史記述をテクストとして教育された戦後生れの世代が、次第に社会の中堅を占めつつあるためである。》

(参考)世界がさばく東京裁判 / 佐藤 和男
https://www.amazon.co.jp/dp/4944219369/
監修の佐藤和男氏による冒頭の一文を引用する。
《国際法に準拠して裁くと豪語して占領軍が実施した東京裁判は、しかし、実際には実定国際法に違反していた軍事行動に過ぎず、本質的に連合国の政治的措置であった。国際法に疎い日本国民は、あたかもそれが厳正な司法裁判であるかのごとく錯覚し、爾来、多くの者が祖国の歴史を誇りをもって顧みることを忘れ、甚だしきは国家を呪詛するに至った。》
その上で、戦犯裁判・GHQ関係者、連合国側の政治家・軍人、同じく連合国側の法律専門家、歴史学者、マスコミ関係者などが東京裁判の問題点を指摘した文面をこれでもかと並べている。連合国側においてすらこれほど多くの人(表紙には85人とある)が東京裁判の欺瞞を見抜いていたのかと改めて思う。

(参考)戦争犯罪と法 / 多谷 千香子
https://www.amazon.co.jp/dp/4000236660/
東京地検検事や旧ユーゴ戦犯法廷判事などを務めた著者による本邦初の「教科書」。冒頭でニュルンベルク裁判・東京裁判の問題点についても触れている。ただし、あくまでも教科書。




《あとがき》


この記事のコメントを書くために蔵書を改めてざっと斜め読みした感想でいうと、糾弾系は読みづらい。私の持論とは志向が違うからというのもあるだろうけど、それ以外に反対論者への批判が目に余る。他者の吊るし上げは見苦しいという反感も覚える。それでいうと、同じ糾弾系でも事案そのものを論じている秦郁彦や本多勝一あたりの著書の方が読みやすい。

幻影系でいうと、やはり日本軍関係者からの反論が印象的。筆致はそれぞれであっても、根底にある想いは森王琢氏(歩兵第二十聯隊第三大隊長代理)が述べたようなことなのだろうと思う。一部の論者は、関係者が鬼籍に入る年代になってから否定論が始まったなどというが、そういうことではないのである。言論界が黙殺していただけなのだ。

改めて以下に画像で貼っておく。





他にもまだ蔵書はあるが、気が向いたらまた後日追記する。




《改版履歴》


2021.02.16 新規
2022.10.19 4項に笠原「南京事件」追記。
2022.11.17 1項に「南京事件 70 年―収束しない論争」追記。




《関連記事》


★南京大虐殺の真相(目次)
https://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/9e454ced16e4e4aa30c4856d91fd2531




以上。






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